My house, my rules !

徒然なるままに

従兄弟(いとこ)のTちゃんが好きだった「よしだたくろう」 ミニバンドと♪「ともだち」♪

よしだたくろう ともだち

よしだたくろう・オン・ステージ!!ともだち:1971年 エレックレコード/ポニーキャニオン


少年が過ごした夏休み。とつぜん現れた高校生の従兄弟。

小学生のとある夏休み。父の実家がある福岡県の大牟田でひと夏を過ごしました。生まれて初めて乗るブルートレイン(寝台車)。生まれて初めて訪れる九州。生まれて初めて対面する祖母、伯父、伯母。そして生まれて初めて会う従兄弟。私は高校生の従兄弟「Tちゃん」と出会うことになりました。

少年の前に突如現れた格好良いイケメンのアニキ。従兄弟のTちゃんは、髪を長く伸ばして、スタイルもよく、ジーンズ姿がキマっていました。

Tちゃんは毎日のように小学生の私と遊んでくれました。絵を描いてくれたり、サンダーバードのプラモデルを作ってくれたり、歌を一緒に歌ってくれたり…。

スマホニンテンドーの携帯ゲーム機も無い、遠い昭和の、夏休みの日々。
近くのお寺の境内で「だるまさんが転んだ」をやって、
カルピスを作って飲んで、蝉やバッタを捕まて…。
お腹がすいたら、山盛りの大きなかき氷を食べに連れて行ってもくれました。

毎日、朝な夕なにとTちゃんは遊んでくれましたが、週末になると似たような格好をした仲間たちが夜遊びの誘いに現れます。Tちゃんは彼らと徒党を組んで夜の帳へと消えていきます。お留守番の少年は寂しくその背中を見送るしかありません。

俺も連れて行ってくれよ~!
「大きくなったら連れて行ってやるからな」

 

こいつはいったい誰なんだろう?

当然の如く少年はTちゃんに心酔していきます。
その頃流行っていたヒット曲のドーナツ盤レコードを何度も繰り返し聞かされて、毎日一緒に歌を歌いました。歌う曲は毎回いつも同じで決まっています。

♪ ゆかたの~ きみ~は~ すすきの かんざ~し~ ♪ 

CDもMDもアイフォンもない時代ですから、リピート再生なんてできません。曲が終わるとすぐにレコードプレーヤーのアームを摘まんで、最初の位置に戻します。極めてアナログな肉体労働的リピート!

半ば強制的に歌を教え込まれたようなもので、犬や猿が芸を仕込まれるような調子でしたが、大好きだったTちゃんと一緒に歌を歌っているだけで少年は楽しかったのです。
(一方、祖母はTちゃんに負けじと、美空ひばりの「花笠道中」を孫達に教え込みました)
♪これこれ石の地蔵さん♪


よしだたくろう「旅の宿」
旅の宿:1972年7月1日発売。発売 Odyssey / CBSソニー


セピア色のレコードジャケットの写真に写る不機嫌そうな男。
いったいコイツは誰なんだろう…。

よしだたくろう?「旅の宿」?

なんでTちゃんはこんなヤツが好きなんだろう。
なんでこんなへんてこりんな曲が好きなんだろう。
やたらと歌いにくいし。
とても不思議に思っていました。

そもそも「あつかんとっくりのくび」っていったい何? 日本語?
わからん。動物?食べ物?洋服?

ぶっとんだ大晦日の夜

時は流れ1974年の大晦日の夜。ついにテレビのブラウン管の中で、あの男を目にすることになります。レコードジャケットの静止画ではなく、生で動く本物のあの男です。森進一の歌う「襟裳岬」が日本レコード大賞を獲得し、作曲を担当したその男がステージ上に現れました。

もう、完全にぶっとびました。
なんとジーンズの上下を身にまとい、片足を投げ出した反骨の男が、大胆不敵な笑みを浮かべていました。

当時のレコ大は国民的行事と言ってよいほどの脚光を浴びる一大イベントです。大晦日の夜、誰もが固唾を飲んで大賞の行方を見守っていました。当然のごとく、その厳格な受賞セレモニーのステージに上がる者は、例外なく誰もが正装していた時代です。そこへなんと、シャツのボタンを胸元まで外した普段着のままの「よしだたくろう」が登場しました。

よしだたくろう 1974年 日本レコード大賞

「どんなもんだい、レコ大なんてちょろいよ」とでも言いたげなジーンズ姿のよしだたくろうが、人を食ったような、何人たりとも省みない尊大な態度で、大胆不敵に笑っていました。

社会の既成概念を打ち壊す「時代の寵児」がそこにいました。

テレビに映ったのはほんのわずかな時間でしたが、とにかくその風体に心底驚いたのと、してやったりの、どこかさわやかな笑顔が本当に格好良かったのです。

「Tちゃんはやっぱり正しかったんだ。俺も大きくなったらコイツみたいな生意気な格好良い男になるぞ」と少年は密かに誓うのでした。


若くしてこの世を去ったTちゃんを偲んで

春、桜の季節になるとドライブに出かけては、何度もリピートして聞く曲があります。よしだたくろうの「春だったね'73」。若いお嫁さんと、生まれて間もない幼子の娘を残し、驚くほど若くしてこの世を去ってしまったTちゃんを思い出して偲んで聞きます。

よしだたくろう LIVE'73」。ギター高中正義。オルガン松任谷正隆。ベース岡沢章、ドラム田中清司。のちに音楽界で名を馳せる腕利き達が一堂に会しています。サックスは村岡健。太陽にほえろや、傷だらけの天使ルパン3世etc、誰でも知ってるナンバーをのちに吹く日本サックス界の第一人者がブラス隊を率いています。さらにストリングス隊とコーラス隊も加えたビッグバンド編成を従えて、吉田拓郎がシャウトしています。

吉田拓郎27歳、高中正義20歳、松任谷正隆22歳、岡沢章22歳、田中清司25歳…。
いまから約半世紀前。たった二日限りのライブだったそうですが、1973年にこのクオリティーで音楽をやる20代の若い男たちが日本にいました。Tちゃんが惚れこんでいたのも良くわかります。もう少し早く生まれていたら、Tちゃんと一緒によしだたくろうのアルバムを聞いたり、夜遊びにもいけたかもしれません。

そして、もう1曲…。Tちゃんに思いを馳せて、よくネット上で聞く曲があります。

よしだたくろう&ミニバンド 「ともだち」

九州で過ごしたあの夏休みには教えてはくれませんでしたが、きっとTちゃんが好きだっただろうなと思う曲。よしだたくろう&ミニバンドの「ともだち」です。

1972年にCBSソニーへ移籍して誰もが知る天下のヒットメーカーとなる前夜、よしだたくろうはエレックレコードという設立間もないインディーズ系のレコード会社に在籍していました。デビュー以来これといったヒット曲にも恵まれず、なかなかメジャーブレイクもできず。社内では予算がなく、ライブではバックバンドも付けてもらえない。しかたなくハーモニカを首からぶら下げて、ひとりでギター一本の弾き語りばかり。

そんな不遇だった時期、郷里・広島の音楽仲間二人(愛称:ミニバンド)に手伝ってもらい、ライブ活動をしていた期間がありました。昔からのよしだたくろうファンは、そのエレックレコード時代、ミニバンド編成時の曲や演奏がきっかけで好きになった人がたくさんいます。当時高校生だったTちゃんの年齢を考えると、彼もミニバンドを率いていた時のよしだたくろうを好きになったのだろうなと容易に想像がつきます。

1971年の夏。仕事も選べないデビュー間もない時期に、ローカル電車を乗り継いで訪れた長野県のとある県立高校の文化祭のステージに立つ「よしだたくろう&ミニバンド」の音源が残されています。数か月後にはアルバム「人間なんて」やシングル「結婚しようよ」で全国的にブレイクし、スターダムに駆け上がる直前の貴重なライブです。

きっとTちゃんも、この音源の中で手拍子を鳴らす当時の高校生たちと同じような気持ちで曲を聴き、青春を送っていたと思います。


ともだち 吉田拓郎 長野・飯田高校学園祭 1971.7.19


学校を卒業し、就職して、恋をして、結婚して、そして娘が生まれたTちゃん。
その赤子の娘と若いお嫁さんを残したまま、天国に旅立ってしまったTちゃん。
もしTちゃんが今も生きていたら、今頃は青春時代を懐かしみ、あの夏の日々、週末になると誘いに現れた夜遊び仲間を思って、この歌を聴いていたことでしょう。

 

「ともだち」 歌/作詞/作曲 吉田拓郎

やるせない 思いを胸に
友だちは 去りました
今日という 日のくることは
さけられぬ ことだったのでしょう

友だちは 遥かな旅路に
今いちど たたないかと
手をとって ふるえる声で
言ったけど あきらめたのでしょう

果てしなく 広がる夢と
自由とが ほしかった
あてのない 長い道でも
何かしら 信じてたのでしょう

今日の日は 私にとっては
届かない 彼でした
ふりかえる ことすら忘れて
友だちが こわかったのでしょう

汽車に乗る 後姿が
友だちを 語ってた
いくたびか こみあげてくる
悲しみも こらえてたのでしょう

傷つける ことはしたくない
優しさがわかりすぎて
バカヤロウ って言ってほしかった
それだけを 言い忘れたのでしょう