My house, my rules !

徒然なるままに

愛しのウェンディー・ホルコム 早世の天才 Darling Wendy Holcombe, Sweetheart, Premature death.

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バンジョーの音に心奪われて

PCでの仕事中にヘッドフォンで音楽を聴きながら作業していたら、ある曲のバックで軽快に鳴り響くブルーグラス・スタイルのバンジョーの音に心を奪われました。

バンジョーっていいよな。なんか素朴で、どこか懐かしくて…。

作業の手は自然と止まり、いつのまにか「バンジョー」「ブルーグラス」をyoutubeで検索していました。予想はしていましたが、検索で上がってきた動画は "Foggy Mountain Breakdown" という曲を演奏する個人やバンドのものが目につきました。

 

バンジョーの名曲「Foggy Mountain Breakdown」

"Foggy Mountain Breakdown"は、バンジョーにおけるスリーフィンガー・ピッキング奏法を確立したブルーグラス生みの親であるアール・スクラッグスが作曲した楽曲で、バンジョー弾きなら誰もが必ず演奏する有名なバンジョーインストルメンタル曲です。

この曲を不滅のスタンダードにしたのは世界中で大ヒットしたハリウッド映画「俺たちに明日はない」(原題:Bonnie and Clyde・1967年・ワーナーブラザー)で、有名なカーチェイスシーンに使用されたことによって世に広く知れわたりました。"曲のタイトルは知らないけど、このメロディーは知っている"、という方も多いはずです。現代もTV番組の様々なシーンでBGMとしてしばしば使われています。

「俺たちに明日はない」(原題:Bonnie and Clyde・1967年・ワーナーブラザー)

俺たちに明日はない」(原題:Bonnie and Clyde・1967年・ワーナーブラザー)

 

ウェンディーホルコムとの出会い

ブルーグラスの本場であるアメリカのバンドの素晴らしい演奏でFoggy Mountain Breakdownを聴きたいと思い、検索を続けました。たくさんのカントリーウェスタンバンドのサムネイルが並ぶ中で、一枚の奇妙な写真に目が留まりました。

それは、"BABYMETAL"のようなツインテールのヘアスタイルに紫色のリボンを結んだ、金髪の小さな女の子がバンジョーを抱えたサムネイルでした。

「この子供が演奏するの?」

Wendy Holcombe,

Wendy Holcombe, "Nashville On The Road" 1975

その動画は、"Nashville On The Road" という1975年から1981年にかけて放映されたテレビ番組からのものでした。アラバマ州の"アラバスター"という田舎町出身の少女が、番組司会者の招きによりステージに登場しました。女の子の年齢は12歳。彼女は司会者からウェンディー・ホルコム(Wendy Holcombe)と紹介されました。これが、私がウェンディーホルコムを初めて知るきっかけでした。

天才少女、現る

陽気で賢く社交的で饒舌な南部訛りの女の子は、少女が成長期に入ったときに見せる特別な雰囲気を漂わせていました。彼女は、子供から大人へ変化する過渡期に入る直前でした。高く伸びた身長。長くて細い腕と足。そのせいで子供っぽい洋服がどことなく不釣り合いでした。


彼女はサイレン・ホイッスルを"プイ~"と吹いて、ゆったりとしたピッチでFoggy Mountain Breakdownを演奏し始めました。彼女は会場の観客に笑顔を向けて、リズムに合わせて体を大きく動かしながら、見事にバンジョーを弾いてみせました。

Wendy Holcombe,

Wendy Holcombe, "Nashville On The Road" 1975


演奏時間はたった1分間でした。しかしながらその才能を疑う余地はありませんでした。彼女が父親から手ほどきを受けてバンジョーを弾き始めたのが11歳の時。ウェンディーはわずか1年でこの弦楽器をマスターし、天才バンジョープレーヤーとなって、この世に突如として登場したのです。

どのような世界にも、常に天才的な子供が存在するものですが、ウェンディーホルコムもまさにその中の一人、天才少女でした。

衝撃の事実。天才少女は23歳で…。

1975年に12歳だと、現在彼女は56歳になっているはず。さっそくウェンディーホルコムについていろいろと調べてみようと思い、まず手始めにwikipediaを覗いてみました。すると初っ端から衝撃的な事実が判明しました。

驚くことにウェンディーは23歳という若さで1987年に他界していたのです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Wendy_Holcombe


Wendy Lou Holcombe
April 19, 1963 - February 14, 1987.

ウェンディー・ルー・ホルコム
1963年4月19日生まれ、1987年2月14日死亡
死因は先天性心疾患ということでした。

この素晴らしいバンジョープレーヤーは、1970年代に天才少女として人気を博し、ショービズの世界へ足を踏み出します。彼女はその短い活動期間中、多方面で活躍し足跡を残しました。デビュー間もない70年代後半、彼女はディズニーの"The New Mickey Mouse Club" や "Kids are People Too"といったロー&ミドルティーン世代向けのテレビ番組へ出演しました。また、先述のカントリー音楽のTVショー "Nashville On The Road"のレギュラーでした。

Wendy Holcombe (1977)

Wendy Holcombe (1977)

Wendy Holcombe

Wendy Holcombe"On tour"


美しく成長し、ティーンのスターへ

天才少女は、南部地方の由緒正しい価値観と共に育ち、美しく若いスターへと変身しました。彼女の才能はさらに磨きがかかりました。愛らしい端正な顔立ち、高い身長、綺麗なブロンドヘア、いつも陽気で天真爛漫な笑顔。アメリカの古き良き時代を象徴するような若い女性になったウェンディーは、テレビのショーやツアーで南部を中心に多くの人々に愛されました。

1980年代に入ると、ウェンディーは活躍の場を広げ、音楽活動を積極的に行うだけでなく、"Wendy Hooper, US Army"というテレビドラマや、"Lewis & Clark"というシットコムに女優として出演もしました。

Wendy Holcombe (1980)

Wendy Holcombe (1980)

Wendy Holcombe (1980)

Wendy Holcombe (1980)


あふれる才能は短い活動期間に集約された

ウェンディーの芸能活動は1975年から1983年頃までで、とても短く10年にも満たない期間でした。彼女は10代中頃から二十歳にかけてプライム期を迎えます。音楽面での天賦の才は留まることを知らず、バンジョーだけでなく、スチールギターフィドル(バイオリン)、エレキギターを習得し演奏することができました。ウェンディーは数多くのテレビ番組に出演し、様々なステージで演奏を披露しました。

Wendy Holcombe (1980)

Wendy Holcombe (1980)

Wendy Holcombe (1981)

Wendy Holcombe (1981)


彼女は1983年に、ブルーグラスの名人達や、有名なエンターテイナーのペリーコモとの海外ツアーをこなします。しかしこのツアーを最後に、彼女はショービズの表舞台からフェードアウトします。

ウェンディーは幼少期から心臓の問題があると診断されていました。80年代中頃には、彼女は健康問題を理由に静養し、芸能活動を停止しました。ウェンディは1983年のツアー後にフロリダ、ノースカロライナ、再びフロリダへと移住しました。

Wendy Holcombe (1983)

Wendy Holcombe (1983)


そしてついにウェンディーは1987年2月の聖バレンタインデーの日に天国へと旅立ちます。

 

ウェンディーと日本の接点

アメリカの南部出身で、1970年代後半から80年代初頭にかけての短い期間、カントリーミュージック界を中心に活躍したウェンディーホルコム。その当時、彼女のことを知る日本人は少なかったと思います。

しかしウェンディーはプライベートにおいて、日本と接点がありました。実は、ウェンディーは早くに結婚をしていました。彼女の結婚相手はツアーを一緒に回る自分のバンドの "Tom Blosser" (トム・ブロッサー)という名のベースプレーヤーでした。

Tomの本名はThomas Yoshiro Blosserといいます。
旦那さんの旧名は「すどうよしろう」さんといいました。
なんとウェンディーは日本人と結婚していたのです。

 

Tom Blosser (Thomas Yoshiro Blosser) 日本人との結婚

すどう-よしろうさんは北海道の室蘭出身の日本人で1951年11月3日生まれ。よしろうさんは、ご家庭の事情で、キリスト教「メノナイト」の宣教師として日本の北海道で布教活動していたEugene Edward Blosser(ユージン・エドワード・ブロッサー、1917–2008)というアイオワ州(Iowa)出身の米国男性に、養子として引き取られました。

ユージン・エドワード・ブロッサー氏は1953年に来日。北海道の大樹町(広尾郡)や札幌市などでキリスト教を布教をしたり、教会を建てるなどの活動に従事していました。ブロッサー氏は自分の息子に兄弟がいたほうが良いと考え、養子を探していました。彼は室蘭の児童養護施設に相応しい幼い男の子がいるとの連絡を受け、よしろうさんと面会して、彼を養子にすることにしました。

幼いよしろうさんはブロッサー氏の息子となり、Thomas Yoshiro Blosserとして帰化してアメリカ国籍を取得しました。ブロッサー氏はその後もしばらく日本で活動し、よしろうさんは養父のブロッサー氏が設立した札幌のインターナショナルスクールへ進み、楽器の演奏なども学んだようです。その後、よしろうさんは米国カンザス州のヘストンカレッジへ短期間留学し、そのままアメリカ国内に留まり、ミュージシャンとして活動を開始しました。よしろうさんは1980年にウェンディーと出会います。ウェンディーはまだ17歳でした。

ふたりは程なくして恋に落ち結婚しました。ふたりは仕事を共にしていました。ウェンディーが仕事から退いた1983年以降、ウェンディーとよしろうさんは、フロリダやノースカロライナにおいて、人生の中で短くも充実した幸せな期間を仲良く過ごしたようです。

異彩を放つウェンディーの魅力

何気ないきっかけからバンジョーを聴こうと始まったネットサーフィンで、微に入り細を穿つまでウェンディー・ホルコムについて詳しく調べることになりました。

Wendy Holcombe

Wendy Holcombe

なぜ彼女の動画が私の心の中の琴線に触れたのでしょうか。それは彼女が他の演奏者と全く違って異質だからでした。バンジョーを演奏するたいていのプレーヤーは無表情で、体を揺らしたり動かすことはありません。もしかしたらそれがバンジョーの美学の1つなのかもしれません。確かにカントリーウエスタンの音楽家は、ロック・ポップミュージックのアーティストたちのような過剰なアピールはしません。

しかし彼女のやり方は違っていました。ウェンディーはいつも愛想のいい笑顔を振りまいて、声をあげ、体を使って踊るようにリズムを取り、バンジョーを楽しんで弾きました。まるでChuck Berryが "You Can't Catch Me"を演奏するように。

私は今回たくさんのバンジョーの動画を見ましたが、ウェンディーだけが異彩を放っていました。彼女は誰よりも躍動感があり、誰よりも演奏を楽しんでいました。


早世の天才。色褪せることのない輝き。

彼女が早くにこの世を去ってしまったのは大変残念です。
しかしそのことが彼女の若さを永遠に止めています。
彼女は決して歳を取ることなく、若さに満ちた魅力を動画や写真の中で、今も放ち続けています。

古き良きアメリカ南部の文化を体現するウェンディーは、今もそのノスタルジックな魅力を余すところなく現代に伝えてくれています。

RIP Darling Wendy Holcombe, Sweetheart.


追伸
ウェンディーホルコムのご家族・親族は今もアラバマ州アラバスターに暮らしています。彼らはウェンディーのお父さんが広い敷地の上に建てたレトロな懐かしいカントリースタイルのイベント施設兼結婚式会場 "Lonesome Dove Wedding & Event" を経営されています。

Lonesome Dove Wedding & Event

https://lonesomedovellc.com/



私はウェンディーにとても感謝しています。なぜなら、私は彼女がエレキギターを弾く動画によって、素晴らしい曲を知ることができました。また彼女は、その曲の作曲者の感動的なバックストーリーへ、私をいざなってくれました。

私は彼女によって「Freight Train」と出会うことが出来ました。そして作曲者であるElizabeth Cottenのことを知りました。また、Joan Baez、PP&M、Chet Atkins、Peter&Gordon、Jerry Garciaがこの曲をカバーしたことを知りました。また、ジョンレノンがThe Quarrymenのメンバーだった1950年代にこの曲を歌っていたことを知りました。1991年のアンブラグド・ライブのリハーサルで、ポールマッカートニーがこの曲を披露したことも知りました。

Wendy Holcombe (1977) plays Freight Train

Wendy Holcombe (1977) plays "Freight Train"



ウェンディー・ホルコムの演奏


Wendy Holcombe - Foggy Mountain Breakdown


Wendy Holcombe - Dear Old Dixie


Big Blue Marble - Wendy Holcombe 1977


Wendy Holcombe - Catfish John & Freight Train


Wendy Holcombe - Whoa Mule


Wendy Holcombe - Ole Slewfoot


Wendy Holcombe & Eddie Rabbitt - Instrumental (1980)


Wendy Holcomb - Steel Guitar Rag


BUCK TRENT and WENDY HOLCOMBE - DUELING BANJOS / FOGGY MOUNTAIN BREAKDOWN


Wendy Holcombe - Foggy Mountain Breakdown


もう1つ、バンジョーのネタ。Bluegrass 45 / Sab Watanabe

「Foggy Mountain Breakdown」をyoutubeで検索すると、この曲を書いたアール・スクラッグス氏と、たくさんのバンジョープレーヤーたちが一堂に会して曲を演奏する動画がすぐに見つかります。その動画は1971年に開催された音楽フェスティバルの様子を録画したもので、再生回数も800万回近くに達しています。私は詳しくはわからないけれど、彼らもまたスクラッグス氏のフォロワーであり著名なバンジョープレーヤー達なのでしょう。

動画を再生してみると曲の途中で、真っ黒に日焼けした長髪のバンジョー弾きが現れます。中南米の人のような、あるいはインディアン民族のような…。白人ばかりの演奏家たちの中で、そのバンジョー弾きは一人だけ人種が違い、ひときわ目立っています。よく見ると、顔の各部や表情は東アジア地域の人に見えます。いったい彼はどこの国の出身なんだろう。

1971年当時、若者が海外へ自由に出国しアメリカで音楽活動ができる東アジア地域の国はたった1か国しかありません。とても彼のことが気になります。コメント欄から情報を探っていると、プレーヤー達の名前が演奏順に書いてある投稿がありました。

"Sab Watanabe"。

やっぱり。彼は日本人でした。

Sub Watanabe

Bluegrass45の渡辺三郎さん(本名:井上三郎さん)


映っていたのは"ブルーグラス45"とうブルーグラス・バンドの渡辺三郎さん(本名:井上三郎さん)というバンジョープレーヤーでした。ブルーグラス45は1967年頃に神戸で結成された日本ブルーグラスミュージック界の草分け的存在で、1971年に本場アメリカに進出し、ツアーを行い、各地で演奏を披露したようです。

当時の彼らのステージの様子はyoutubeの動画で見ることができます。1971年に、このような素晴らしいブルーグラスのバンドがいたことと、ブルーグラス45のアクロバティックな演奏に、とても驚きました。

"Sab Watanabe"こと井上三郎さんは、現在も音楽活動を続けておられ、日本で唯一の月刊ブルーグラス雑誌「ムーンシャイナー」の編集長でもあるほか、1972年から現在まで半世紀近く続いている野外のブルーグラスフェスティバル「宝塚ブルーグラス・フェス」を主催されています。また井上さんが所属するブルーグラス45は、2017年に結成50周年のステージを行っています。井上さんはご家族でブルーグラスのファミリーバンドとしても活動しておられるようです。いや~、このような方がいらっしゃると全く知りませんでした。

何の気なしにバンジョーについて検索したところ、今回はいろいろな発見がありました。人生はいくつになっても勉強です。

それでは、最後にもう一度この曲をどうぞ!


Foggy Mountain Breakdown - Earl Scruggs

 

追悼
ブルーグラスのレジェンド・渡辺(井上)三郎さんが2019年11月22日、癌のためお亡くなりになったそうです。この記事をアップしてからおよそ1週間後のことでした。享年69歳。ウェンディーホルコム程ではないにせよ、あまりにも早い死であり、ブルーグラス界にとっても大変大きな損失で、残念で仕方ありません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。(2019年12月・追記)